私はその列車を母親と祖父と三人で岩見沢の自宅近くの線路端にて待っていました。
いつまで待っても来ない列車に、当時子供だった私はしびれを切らしてもう帰ろうとぐずったのですが、
当初予定より1時間も遅れて最後の蒸機列車は岩見沢へやってきました。
列車は手製のヘッドマークがついていることと客車の窓から大勢の人がはみ出していること以外は
普段目にしている列車と変わりは無く、もとより子供に蒸機の最終列車の意味がわかろうはずもなく、
ちょっと拍子抜けしたのを覚えています。
その最終列車を牽引した機関車はC57135号機だったわけですが、この抜擢は
NHKで放送されたドキュメント番組で山口百恵と加藤芳郎が乗ったことにちなんでと言われています。
当初の予定では最終列車はD51が牽引にあたる予定で、実際前日までD51がこの列車を牽いていました。
C57135号機にとってラッキーな抜擢でしたが、この半年前にもC57135号機にとって
ラッキーなことがありました。
(NHK さらば蒸気機関車 昭和50年11月24日放送 岩見沢駅にて)
昭和50年夏、岩見沢第一機関区にて定期点検を受けていたC57135号機ですが、その時なんとフレームにヒビが見つかったのです。
機関車にとってフレームのヒビは大変なことなので、そのまま廃車という話もあったそうですが
一週間ほどかかって修理をして無事復帰となりました。
この時そのまま廃車になっていたら山口百恵が乗ることも、最終列車を牽引することも、交通博物館で
保存されることもおそらく無かったでしょう。
その後JR東日本の蒸気機関車動態復元計画の中でいったん復元機として選ばれましたが
当時のJR東日本の社長の「蒸気機関車と言えばデゴイチではないだろうか」との意向で
D51498号機が最終的に復元機として選ばれました。
C57135号機は現在では埼玉の鉄道博物館の転車台の上で大切に展示されています。
私も現在フレーム(背骨)折損中なので、C57135号機にあやかって
治ったら後に何か良いことがないかな〜との希望を持って、ちょっといつもと違うネタでした。